世田谷、夢二の晩年の地~玉電沿線~
竹久夢二は、晩年、「少年山荘」というアトリエ兼住宅で暮らしました。自らが設計して建てたこの家は、赤い切妻の屋根に白い壁、いかにもロマンチックなものでした。
「少年山荘」は、当時、雑木林や畑の広がる武蔵野の一角にあったそうですが、詳細地は今は不明です。夢二は少年山荘の窓から玉川電鉄をスケッチしたり、付近を散策したりして過ごしました。
夢二を懐かしみ、玉川電鉄(いまの東急世田谷線)沿線を楽しみました。
「三軒茶屋」から乗車、「松陰神社前」で下車しました。
松陰神社は駅から5分くらいの所にあります。境内は静かで、りんとした空気がありました。松下村塾を模した家や松蔭の座像などがあります。↓
次に行ったのは豪徳寺です。「松陰神社」から乗車し、「宮の坂」で下車しました。
豪徳寺は彦根藩井伊家の菩提寺と案内に書いてあり、全く知らずに参詣したのですが、いまもっと有名なのが「招き猫発祥の地」なんだそうです。
寺務所前にはとってもかわいいネコの看板がありました。↓
そして圧倒されるのが、小さな招き猫たち。人々が願をかけて、願いが叶うと納めに来るそうです。↓
豪徳寺の入り口です。↓
昔の面影を残す武蔵野の風景です。都心からそれほど離れていないので、ぶらりと訪れてみるのも楽しいです。
豪徳寺の最寄り駅は、東急世田谷線では「宮の坂」です。
玉川電鉄は、明治40年(1907年)に二子玉川~渋谷が開通し、大正14年に三軒茶屋~下高井戸間が開通しました。竹久夢二は大正13年に世田谷に引っ越しをしています。
夢二は玉川電鉄沿線を楽しんだようです。
「・・・今日開通した電車にのりて見たしとて、宮崎をつれ、三人しぶやへゆく」と記し、山荘の窓から、電車をスケッチしている。
引用:竹久夢二美術館発行の小ガイドブック 「夢二の東京」 より
ちなみに少年山荘は、岡山県の夢二生家記念館の隣に復元されているようです。
参考 岡山観光WEB
夢二郷土美術館 夢二生家記念館・少年山荘|観光スポット | 岡山観光WEB【公式】- 岡山県の観光・旅行情報ならココ! (okayama-kanko.jp)